杵築市議会 2022-06-14 06月14日-02号
先ほど言ったように、杵築市は、やっぱり基幹作物という、もともと柑橘興市という市でございましたから、柑橘をもって市を興すという、当時の八坂善一郎初代市長が強力に進めていった。そして、県内外から本当に多くの入植者がやってきて、昭和30年にやってきて、そして、開拓開墾をやっていったという実績があります。まさに現代版のまちづくりでございます。本当に多くの人たちがやってきた。
先ほど言ったように、杵築市は、やっぱり基幹作物という、もともと柑橘興市という市でございましたから、柑橘をもって市を興すという、当時の八坂善一郎初代市長が強力に進めていった。そして、県内外から本当に多くの入植者がやってきて、昭和30年にやってきて、そして、開拓開墾をやっていったという実績があります。まさに現代版のまちづくりでございます。本当に多くの人たちがやってきた。
この間、初代院長である内倉医師から現在の大村医師に至るまで、保戸島区民の安心な生活を支え、命と健康を守る医療の確保に努めてまいりました。 保戸島診療所の体制については、診療所の院長、看護師などが週4日、定期船で通い、保戸島地区に在住する看護師を含めた6人体制で診療を行っています。
みかんを作れという意味で初代の八坂市長が引っ張っていきましたけどですね、要するに、今の言う特産地化を図るということで柑橘興市と、柑橘でもって、そして市を興すという、柑橘興市と掲げて初代の八坂市長がやったわけですね。それを忘れないようにちゅうことでもって私は、あの看板を大事にしてくださいよちゅうことで、第2代目の看板なんです。
昨年、拉致被害者である有本恵子さんの母、有本嘉代子さんと、横田めぐみさんの父親で拉致被害者家族会初代代表として救出運動を先導してきた横田滋さんが、願い続けた我が子との再会が果たせぬまま御逝去された。
中津城の初代城主黒田官兵衛の入部以降の歴史が観光の中心になっていますけれども、より裾野を広げたマイクロツーリズムの推進も必要だと思います。 そこで、まずは中津市において、歴史の中心的存在である中津歴史博物館、略して「なかはく」ですが、2019年11月1日のオープンから約1年7か月が経過しました。その間、私のところに、特に若い方々から、存在意義について大変厳しい声も頂きました。
いずれにしましても、先ほど、山香の今、風の郷が雇用している人たちの雇用について、何か月か先送りして一旦切るべきだという話がありましたけど、私は、風の郷の職員と従業員さんとお話をしたときも、やはり今の指定管理者よりも前から、初代からずっとやってきているこの人たちの風の郷に対する思い、それからノウハウ、そして熱意、そしてほとんどの方が山香の人たちです。
この桜は、竹田市の音楽姉妹都市であります仙台市所縁の桜でありまして、初代仙台市長であった遠藤庸治が増殖・普及に努めたことから、「遠藤桜」あるいは「仙台八重枝垂」とも呼ばれています。京都御所から仙台市隣接の塩釜神社に贈られたと伝えられております。平安神宮にも献上しており、代表的な樹種となっております。谷崎潤一郎の「細雪」や、川端康成の「古都」にも登場するほど著名となっております。
合併から7年後の平成24年、西暦で申しますと2012年でございますが、現在の岡城と城下町の礎を築きました初代岡藩主中川秀成公の没後400年を迎えるという、その節目を契機にしまして、岡城・城下町の再生と歴史や文化を背景に、将来に向けた市民の一体感のある、市民としての誇りの醸成を図ったものでございます。
この杵築城復元の中心的人物であります旧杵築市の初代市長で、名誉市民でもあります八坂善一郎先生は、城山公園に胸像がございます。また、三川区の国道213号沿いには、先生の書で、とにかく車は気をつけようの交通安全標語の大きな看板がございます。日の丸市長と言われていたそうですが、柑橘興市のまちづくりなど、偉大な政治家、ステイツマンだと考えております。
その信長の野望シリーズは、1983年3月30日に、初代信長の野望を発売して以来、累計出荷本数が世界累計1,000万本を突破しており、今年で35年目を迎える超ロングセラーブランドでもございます。
その信長の野望シリーズは、1983年3月30日に、初代信長の野望を発売して以来、累計出荷本数が世界累計1,000万本を突破しており、今年で35年目を迎える超ロングセラーブランドでもございます。
大正13年、別府市議会初代議長が誕生以来96年、この歴史ある別府市議会の議長として、さらなる市勢発展と円滑な議会運営のため全力で取り組んでまいりたいと決意を重ねている次第でございます。 どうぞ、今後とも議員の皆様、そして市長はじめ執行部の皆様、そして報道関係の皆様方の温かい御支援並びに御指導・御鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げまして、議長就任の挨拶とさせていただきたいと思います。
最後にちょっと一つ話を紹介したいなと思いますが、たまたま大分合同新聞の昨日の夕刊の中に、初代文部大臣の森 有礼さんの「自警」の書というのが取り上げられておりました。
一項目め、ハワイ州ホノルル市との友好都市の締結についての一点目、両市のつながり及び締結に至った経緯ですが、太平洋戦争の発端である昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃において、第一弾を投じた高橋赫一少佐が宇佐海軍航空隊の初代飛行隊長であった歴史的なつながりがあります。
初代の後援会長が亡くなられました。最後まで約束を守ってくださいました。死ぬときまで俺はお前を応援するからな、そう言いながら握った握手の力は最後まで変わることはありませんでした。 そのときを考えたときに、自分もいつ死ぬかわからない身ということを改めて考えさせられました。 人が生きていくということと死ぬということは別のものではありません。
児玉誉士夫さんとも関係があった企業ではなかろうかと思っておりますし、ちょうどですね、私が議会一期目のときですね、事ありまして初代山口市長の実家にお伺いすることがございました。 中本議員のフェイスブックの中にも書いておりましたが、当初ですね、設計というかプランが上がったときに庁舎の中に議会棟がある予定でございました。初代の山口市長がやはり議会と執行は相反するところも必要だ。
これは、初代の八坂市長時代に、柑橘興市ということでもって県外からの入植者を受け入れていった。隣の愛媛県を中心としてやっぱりやられていたという経過があるわけです。今の、やっぱり大きな柑橘産業の基礎は、こういった県外の人たちから築いたなというふうに私は思っております。 そういったことで、これからの市内・県外受け入れ計画について、お願いを申し上げたいと思います。 ○議長(渡辺雄爾君) 竹中農林課長。
あそこは大字でいうと東明野と西明野があって、東明野は鶴崎支所管内、西明野については本庁管内ということで、戸籍等をとるのに大変不便だということで、出張所をつくってほしいということがあって、当時、市民課の戸籍係長だった下川さんが初代だと。そして、それ以上拡充しないという話だったはずです。いつの間にか支所になっていますけれども。そして、大分県住宅供給公社がその後、敷戸を開発したんです。
あそこは大字でいうと東明野と西明野があって、東明野は鶴崎支所管内、西明野については本庁管内ということで、戸籍等をとるのに大変不便だということで、出張所をつくってほしいということがあって、当時、市民課の戸籍係長だった下川さんが初代だと。そして、それ以上拡充しないという話だったはずです。いつの間にか支所になっていますけれども。そして、大分県住宅供給公社がその後、敷戸を開発したんです。
また、この土地が中津市学校の初代校長でもあり、慶應義塾の塾長も務めた小幡篤次郎の生誕地でもあることから、慶應義塾と連携して、福澤諭吉、小幡篤次郎をはじめとする郷土の先哲に関する研究を行う予定です。 この共同研究によって、改めて福澤諭吉の教えや業績を再認識し、その研究成果を歴史博物館や福澤記念館での展示に生かすなど、福澤諭吉の精神や業績を広める場所になればと考えています。